『先住民族の10年News』167号(2010年9月11日刊行)に掲載した拙稿とその続篇(10月上旬刊行予定の同誌168号に掲載)にハイパーリンクをつけ、かつ若干の字句修正のうえ、掲載します。
連載「生物多様性と先住民族」
第13回 CBD交渉の土俵での先住民族の主張(その1)
第14回 CBD交渉の土俵での先住民族の主張(その2)
著者: 細川弘明
掲載誌目次 → 刊行年月順 ・ 記事分類別
刊行者: 先住民族の10年市民連絡会
●内容としては、同連載・第12回「ABSの正当性と公平性への懸念」の続きにあたります。
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本連載では「生物多様性条約(CBD)で先住民族の権利や生存環境を守れるか」という問いに対し、いくつかの角度から否定的な見方を述べてきた。しかし、CBDが先住民族にとって意味が無いと主張したいのではない。ましてや、先住民族がCBDの交渉過程に参加する意義を否定したいわけでもない。今回は「先住民族はCBDに向けて何を主張しているか」という別の問いを立て、粗々ながら状況分析を試みたい。
ただし、条約交渉の場面で「先住民族代表」の述べることが生物多様性について先住民族の価値観における最優先事項であるとは限らない、という点は、いちおう弁えておきたい。CBDは国際条約の常として、複雑多岐な交渉枠組みと手続きに満ちており、そこで何らかの果実を得ようとすればその枠組みのルールを熟知して効果的に参加していくしかない。議題や論点は、以前からの交渉の積み重ねによって文脈がかっちりできあがってしまっている。国際条約交渉というのは、良かれ悪しかれそういうものであり、これを無視して言い張っても得るものは無い。
条約事務局はCBD前文にある「先住民族共同体およびローカル共同体(Indigenous and local communities =ILC)」【註1】という括りをそのままブロック(交渉当事者単位)として扱うため、CBD交渉に有効に参加するためには先住民族の諸主体もその土俵に乗らざるをえないという現実の制約がある。具体的には、しかるべき作業部会において、それまでの合意事項と関連づけながら意見や提案を出す、という手続きの繰り返しになる。
以下、本稿でも、CBD交渉におけるIIFB【註2】という先住民族ブロックの主張の一端を紹介するが、それが生物多様性について先住民族の言いたいことの全てというわけではない。
■交渉にのぞむ先住民族ブロック
IIFBは恒常的な組織体というよりは、国連のさまざまな交渉の場(人権理事会であったり、気候変動枠組条約であったり、国連食糧農業機関FAOであったり)に参加してきた各地の先住民族諸団体が、CBD交渉の場面においてかぶる帽子のような役割を果たす。その役割は多々あるが、筆者の見るところ、特に重要なのは:
- CBD交渉のすべての作業部会や予備交渉に正式な出席者を送り込む(すなわち、正当な交渉当事者としての先住民族の地位を確保する)こと
- 交渉の多面的な進行状況について先住民族当事者が情報を共有し、交渉への有効なインプットにむけた戦略を共有すること
- 多様な先住諸民族とそれらを支援する多様なNGOとの関係を円滑に調整するためのプラットフォームを提供すること
の3点であろう。
この10月に名古屋でひらかれるCBD締約国会議(COP)およびカルタヘナ議定書締約国会議(MOP)【註3】は、実質的にはすでに昨年のボン会議直後から準備交渉が始まっている。条約と議定書の主要な分野ごとに作業部会やワークショップなどが世界各地で断続的に開かれ、手分けして準備が進んでいるのだ。IIFBはそのほとんどに代表者を送り込んでいる。
とりわけ重要だったのが、昨年11月カナダ・モントリオールでの8条j項関連自由部会(WG8J-6)、今年3月にコロンビアのカリ市で開かれたABS議定書の準備交渉(ABS-9)【註4】、5月にケニアのナイロビで開かれた科学委員会(SBSTTA-14)【註5】だろう。また、ちょうど本誌が刊行される頃にモントリオールで開かれる予定のカルタヘナ議定書遵守委員会、そして9月後半にはCBD事務局主催でILC交渉者会議が同じくモントリオールで開かれる。
■ 8jと10cは空念仏か
これら一連の交渉場面でIIFBが強く懸念しているのは、CBD第8条j項と第10条c項が条約運用の実質(たとえば議定書の運用規則の遵守状況、数値目標、成果の評価手法など)に反映されないのではないかということである。
8jは先住民族らの伝統知識の伝統外使用にあたって先住民族らの同意と公平な利益配分を求めた条項、10cは生物資源の伝統的使用を文化慣習として尊重することを定めた条項である。先住民族らの知識と実践の重要性は、条約前文においても特記され、いわばCBDの基本精神の一環なのであるが、これまでの交渉経過では、お題目レベルでの確認のみで、この精神を実際のルールにどう反映させていくかという踏み込んだ議論は巧妙に避けられてきた。
今年5月に条約事務局が改訂発行した『地球の生物多様性展望』第3版においても、先住民族(その文化、知識)への言及は、もっぱら抽象的・理念的なものに留まり【註6】、それらを具体的にどう保障し(あるいは損なわれた場合はどう補償し)、その実行状況をどのような手法で評価するべきかといった実践的な提案や問題提起は見られない。
ABSの法的拘束力をめぐって鋭く対立している先進国と途上国であるが、先住民族らの伝統知識保護の具体策については各締約国の国内法措置に委ねようという点で奇妙に一致している。この点をIIFBは、意思決定からの先住民族排除につながりかねないと見て、厳しく批判する。
名古屋会議の焦点は何と言ってもABS議定書であるが、もうひとつの大きな焦点は、生物多様性2010年目標の達成度評価と2010年以降の目標について合意することである。そのポスト2010目標については議長国である日本が原案を出すことになっているが、伝統知識保護に関するその素案(個別目標G)を見て呆れた。保護の達成度をABSについての国内法措置を策定した国の数で測ろうというのである。
これに対してIIFBは、前述のナイロビ会議で、先住民族らが暮らす地域での土地利用変化の動向と居住実態の把握によって評価すべきだと提案している【註7】。どういう法律ができたか云々ではなく、実際に先住民族地区で先住民族が暮らし続けることができているか、そこでの土地利用の変化が急激に進んでいないかどうかをチェックすべきだということである。居住権や土地管理権の保障が生物多様性を守るという発想に立っていることが分かる。
先住民族は、CBDを単なる技術的な環境条約として精緻化させるだけでは生物多様性を守ることができないとの観点から、人権と社会的公正に関する条約としての側面をより重視し、新議定書や新目標設定において、国連憲章、国際人権規約、先住民族の諸権利宣言との整合性を明確にすることを求めているのである。
【註1】local communitiesを「地方共同体」と直訳してしまうと色々な意味で語弊がある。ここではlocalというのが国家構造の末端組織としての地方自治体とは異なるニュアンスであることを指摘するに留めたい。本連載で「先住民族ら」と書くときはCBDの文脈でいうILCを念頭においている。
【註2】 International Indigenous Forum on
Biodiversity(生物多様性に関する国際先住民族フォーラム)。名古屋では市民外交センターがIIFBのローカルホストとなって支援する。
【註3】カルタヘナ議定書と生物多様性条約(CBD)の関係は、京都議定書と気候変動枠組条約(FCCC)の関係と同様である。名古屋会議は第10回のCBD締約国会議だが、議定書締約国会議としては5回目なので、COP10/MOP5と表記される。
【註4】名古屋での合意・採択が期待されている第二議定書(ABS議定書)については、本連載第8回と第12回を参照。ABSは「生物資源へのアクセスと利益配分」(access and benefit sharing)のこと。
【註5】SBSTTA(科学技術助言補助機関 Subsidiary Body on Scientific, Technical and Technological Advice)はCBD第25条にもとづく組織。ナイロビ会議(SBSTTA-14)では、バイオ燃料問題、森林開発問題、気候変動問題と生物多様性保全問題のリンク、伝統的知識保護の評価手法など、先住民族の存在にかかわる重要なことがらが議論された。
【註6】CBD Secretariat, 2010, Global Biodiversity Outlook 3, pp.13,19,40-41,86.
【註7】 IIFB statement: Agenda item 3.4 – Post 2010 Plan, Targets and Indicators (18 May 2010 at SBSTTA14)
以上、167号所収(連載第13回)
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以下、168号所収(連載第14回)
CBD交渉の土俵での先住民族の主張(その2)
国際交渉は国内政治以上に「理念と現実のせめぎ合い」である。ましてや先住民族のように政治的地位において大きなハンデを負わされた立場で交渉に参加する者には、理念における正統/正当性を強く主張し続けると同時に、交渉手続きと小さな合意の積み重ねの流れにうまく乗りつつ、かつ「土俵に乗ること自体に要するエネルギー」ゆえに消耗しないよう、粘り強さとしたたかさが求められる。
生物多様性条約(CBD)の場合、2008年のボン会議(COP9)以降、条約の構成(とりわけABSや伝統知識をめぐる事項)と交渉手順について先住民族の理解を深めるための地域別の研修会(capacity-building workshop)が条約事務局の主催で実施されてきた。このような研修の必要性・有効性を否定するものではないが、既定の論点整理の土俵に先住民族交渉者を招き入れるためのメカニズムであることも否めないだろう。
あえて土俵に乗りつつ、8jと10cという理念をどれだけ実質的な取り決めに反映させていくことが出来るかが、先住民族にとってCOP10にむけてのチャレンジである。
■本会議にむけての情勢
名古屋会議(生物多様性条約COP10/MOP5)にむけた主要な表向きの準備会合はひととおり終了したが、「名古屋議定書」(ABS議定書)の草稿はいまだ合意できていない。国連交渉の定石からすれば、もう名古屋での議定書成立は無理という感もある。土壇場の膝つめ談判で成立した「京都議定書」(気候変動防止条約の第一議定書)の夢よもう一度となるか、やはり準備会合の不調が最後までひびいて成立しなかった幻の「コペンハーゲン議定書」(同条約の第二議定書)の轍を踏むのか。ちなみにABS議定書は成立すればCBDの第二議定書となる。
名古屋会議について日本でのマスコミ報道も増えてきているが、管見の限り、その多くは「先進国vs途上国」という対立図式を強調するか、あるいは、日本発の概念であるSatoyamaを過剰に賞賛する類の、似たり寄ったりの論評に終始しているように見える。
「里山」(そして里海)はもちろん重要なのであるが、今回COP10/MOP5での最大の焦点であるABS議定書でより重要なのは原生林とりわけ熱帯林の生物資源の扱いであり、また、オフショアでの海洋保護区設定の問題である。
そして先進国/途上国という交渉主体以外に、「先住民族およびローカル共同体」(ILC)という非国家的な当事者が正当な交渉主体としてCBDではっきりと認知されているということは繰り返し強調しなければならない。
上述のように、CBD交渉において世界各地の先住民族の代表は「生物多様性に関する国際先住民族フォーラム」(International Indigenous Forum on Biodiversity = IIFB)という交渉団を組織し、それを条約事務局(国連環境計画)に認知させることに成功している。とくに条約第8条j項に関する事柄を検討する作業部会では、IIFBから1名が共同議長として部会進行にあずかる権利が確保されていることの意味は大きい【註8】。
国連においてNGOなど非国家当事者の果たす役割は年々増してきているが、数ある国際条約の締約国会議(COP)のなかでも、NGOの果たす役割の大きさでは、生物多様性条約と世界遺産条約が抜きんでていると言ってよいだろうし、とりわけ先住民族NGOが交渉の中核に関与しえてきたという点で前者は特筆に値する【註9】。
その意味では、CBDやそこから派生する議定書・附属書・運用規則などの内容もさることながら、その内容について協議交渉する枠組みそれ自体が、先住民族にとってひとつの成果であり、それは、今後ほかの国際条約の交渉でも見習わせるべきモデルになるだろう【註10】。
■法的拘束力をめぐる綱引きの意味
とは言うものの、生物多様性の保全が先住民族にとって文字通り死活問題であることを考えれば、これまで獲得してきた交渉地位などまだまだ不十分であると言わざるをえない。8jの冒頭には「国内法の定めにしたがって」という限定句があるが、これは締約国の主権を尊重するための飾り文句である以上に、国家内における集団的権利の保有者たる先住民族の主権を抑圧する殺し文句として作用してきたのではないか。
さきほど「先進国vs途上国」という構図でのとらえ方を批判したが、もちろんそのような構図それ自体は現実として存在する。ABS議定書の法的拘束力をめぐる議論では、途上国政府が明確な拘束力の付与を求める(つまり、利益分配について、私的契約や国内法措置の次元ではない国際法としての義務度を高めようとする)のに対して、先進国政府や生物資源ビジネスロビー(製薬会社、アグリビジネス、食品加工業界など)は、個々の案件や個々の地域ごとに協定や契約で柔軟に対処すべきだと主張する(条約による規制を弱く止めようとしている)。
この対立は、直接には「資源アクセスと利益分配」(ABS)をめぐる主導権の綱引きなのだが、実はそこに先住民族の主権の問題がかかわっている。
途上国政府は、先進国(企業)との利益配分ルールを交渉する局面においては、条約および議定書の国際法としての拘束力を確保してみずからの国家主権を担保しようとするが、国内の先住民族が関与してくる局面については、国際法の干渉を嫌い、あくまで国内法優先による統治を徹底しようとする。要するに国家主権を優先するが故に、国際法への態度が対外と対内で捻れてくるわけである。
先進国の側は、対途上国政府交渉では、資源利用者としてのフリーハンドを確保すべく議定書にあまり強い拘束力を付与しないよう求める。同時に先進国内にも先住民族がいるので、それに対する国際法による権利保障が企業利益の支障にならないよう、基本的には個別の協定や契約による問題解決を図ろうとする。
国際法としてのCBDの運用において先住民族の権利をどのようにビルトインさせていくか、それを他の国際法(たとえば「国際人権規約」、「先住民族の諸権利に関する世界宣言」、現在交渉中の「ポスト京都議定書」など)による先住民族の権利保障とどのようにリンクさせていくか。歴史的なチャレンジの機会だ。
さて、いよいよ名古屋会議本番である。COP10本会議(10月18日〜29日)に先立ち、IIFBでは世界各国から先住民族組織代表が約70名が名古屋に参集し、10月15日から非公開の戦略会議を開き、COP10に望む。筆者も微力ながらそのサポートに加わる予定【註11】。次号では、そこでの議論や本会議での展開やサイドイベントの様子などを報告することにしたい。
【註8】 前述のように、8jと10cという生物多様性条約における2つの条項を議定書や附属書や運用規則でどれだけ実質的に反映させることができるかどうかで、この条約体制における先住民族の地位が浮沈する。
【註9】 IIFBは役割としては広義の国際NGOと見てよいと考えるが、厳密に言えば、単一の組織ではなく、世界各地の先住民族組織の代表者の合同会議(caucus)であり、国際NGOに求められるガバナンス(組織としての内部統制)とアカウンタビリティー(対外的な説明義務)という点では緩い。
【註10】 みずからも先住民族アイマラ人であるボリビア共和国のモラーレス゠アイマJuan Evo Morales Aima大統領が、気候変動枠組条約における森林交渉(REDDそのほか)での交渉主体として先住民族に正当な地位を認めるよう国連総会などで主張しているのは、まさしくこの文脈もふまえてのことであろう。
【註11】 10月15日以降、「COP10先住民族ニュース」として、名古屋での国際交渉の進み具合や関連するイベントなどについて報告や分析をできるだけ多く発信していく予定。「COP10先住民族ニュース」の取材チームは、先住民族の権利ネットワーク、市民外交センター、開発と権利のための行動センター、先住民族の10年市民連絡会などのメンバーによって自発的・臨時に構成されるもので、取材者個々の文責で発信され、先住民族の権利ネットワークのブログページに掲載される。
※本稿執筆にあたり、国連開発計画(UNEP)および生物多様性条約事務局(SCBD)の公開文書、IIFBの公開文書、および関係者から提供をうけた内部情報などを参考にしたが、本稿で述べられた評価や見解についての責任は筆者のみに帰する。
※※本連載の以前の回(第1回〜第12回)は、こちらからダウンロードできます(掲載誌ハードコピーのPDFファイル)。