生物多様性と先住民族(7)生命特許vs先住権(その1)
「先住民族」という視点を加えると、非対称性はさらに“入れ子”になる。国際政治や国際交渉の通常の手法で「途上国」の権利や権益を保護強化すると、それが途上国内の少数民族や周辺化された地域集団(とりわけ政治過程から排除された先住民族)にとって二重の搾取・抑圧となって作用しかねないからである。先進国内のマイノリティである先住民族も「途上国でない」という理由で議論の枠外におかれかねない。こと生物多様性をめぐる問題では、途上国/先進国の枠をこえた先住民族どうしの連携・共闘はあまり進んでいないように見える。
■遺伝資源と主権
地球サミット(1992年、リオ)で国連的思考のなかに大きな位置を占めるようになった「共通だが差異ある責任」という考え方は、身も蓋もなく言い換えるならば「問題に一緒に取り組むけれど途上国よりも先進国のほうが負担は大きいよ」ということであり、地球サミットが産婆をつとめて生まれた双子ともいうべきCBDと気候変動枠組み条約(いわゆる温暖化防止条約)において、はっきりと実体化されたのである。その意味で、後者の第15回締約国会議(COP15、コペンハーゲン)で途上国と先進国の対立ゆえに交渉が頓挫したのは、条約の原点に立ち戻ったと言えなくもない。責任の差異を小さくしようと画策した先進国に対し、途上国側が大きなノーを突きつけた【註1】という側面からすれば、実にまっとうな展開なのだから。
さて、それではCBDの第10回締約国会議(COP10、名古屋)はどうなるだろうか。CBDでは「遺伝資源」に対する途上国の主権を尊重し、先進国や多国籍企業に開発利益が一方的に流れ込まないような歯止めをかけることが一応の合意となっている。(そこがまさに米国がCBDを批准しない主な理由でもある。)
同じ国連枠組みの中で見ると、国連食糧農業機関(FAO)では、育種や地域固有種などを念頭において「遺伝資源」が人類の共通財産であること(したがって営利目的で占有すべきでないこと)という考え方に沿ったルール作りや施策を進めている。
しかし、実際のところ、遺伝資源をめぐる途上国の主権や先住民族の権利に関する攻防の“主戦場”はCBDでもFAOでもない。こう断定してしまうと誤解を受けるかもしれないが、本来CBDこそがそのような土俵であるべきなのに残念ながらそうはなっていない、という意味である。
■バイオパイラシーと新植民地主義
では関ヶ原はどこかと言えば、それは世界貿易機関(WTO)に他ならない。先住民族の運動体や連合体がWTO交渉の折々に発してきたマニフェストを読み直してみると(たとえば、1999年のシアトル先住民族宣言、2003年の先住民族カンクン宣言など)、WTO体制こそが生物多様性の危機を招いているとの認識は早くから確立している。その具体的な現れが「バイオパイラシー」(生物資源・遺伝資源の営利掠奪行為)であることも、繰り返し指摘されてきた。
そこから2つの問いを立てることができる。第1は、なぜ自由貿易が生物多様性を脅かすのか。第2は、なぜCBDはそれを食い止める力を発揮しえないのか、である。
世界各地の局地的な生物資源が貿易商品として投資や投機の対象になったのは、よく考えてみれば、最近のことではない。大航海時代の香料貿易など、まさしく生物多様性ビジネスがグローバルに展開した嚆矢と言うこともできるだろう。バイオパイラシーの歴史的根源が植民地支配にあるとすれば、その危機に立ち向かうためには「バイオコロニアリズム」(生物資源をめぐる植民地主義)の解消・克服が不可欠だということになる。つまり、生物多様性の問題を新植民地主義に対抗する戦略において位置づけることが重要である。
だが、そうした大局観だけでは上記の2つの問いの答えにならない。現代、とりわけ1980年代以降、貿易と生物多様性保全との対立が先鋭化してきた(と同時に複雑で分かりにくくなってきた)大きな要因は、そこに「知財」(知的所有権・財産権)の問題が絡んできたからである。
■知財としての生命特許
レーガン政権が着手したプロパテント政策(特許推進戦略)は、知財の対象を拡大し、積極的に特許権の網の目をはりめぐらして、米国の企業利益を保護推進しようとする世界戦略であった。この戦略の一環として、生物資源や遺伝資源に関する技術情報が知財の対象として積極的に取り込まれたため、医薬・食料・農林水産業の分野での利益開拓はまったく新しい様相を帯びることとなった。
この戦略はパパブッシュとクリントン政権にも継承され、党派をこえた国策として強化されてきた。その国際交渉上の装置がWTOにおける知財協定(TRIPs)である【註2】。TRIPsではいわゆる生命特許(生物資源の利用技術や情報に対する私的財産権)が自由貿易を円滑にするツールとして位置づけられ、その権益保護の基本は個別財産権の保障である。つまり、特許を取得した個人・法人の利益が正当化され、先住民族共同体などによる集団的な所有権・財産権は認めない枠組みである。
生命資源の営利利用に関する協定は、本来であればCBDの枠組みのなかで策定すべきものであったが、TRIPs協定がWTOの枠組みで先に確立してしまったことは、先住民族にとっては打撃であった。というのも、CBDは先住民族を一応のパートナーとして認めているが、WTOはそうではないからである。CBDを所管する国連環境計画(UNEP)とちがってWTOは強制力を備えた強力な国際機関であり、主権国家といえどもWTO諸協定と調和する国内法を整備することが強いられる。ただでさえ先住民族の集団的権利を認めたがらない国家が多いところへ、さらに不当な圧力が「合法的」に増強されることになる。
WTOの土俵で勝負すること自体、先住民族にとって圧倒的に不利である。それではCBDで勝負すればよい、とも言えないのが悩ましいところである。
上述のように筆者はCBDの弱点をその「強制力の欠如」にあると考えてきたのだが、CBDの限界はどうもそれだけではなさそうだ。最近読んだバスティーダ = ムニョスの論文【註3】で指摘されていたのは、CBDが遺伝子/生物種/生態系を別々の次元でとらえ、これらを一体的に取り扱う「文化」の概念が欠けている、という点である。遺伝子/生物種/生態系の保存や保全がCBD交渉においては別々の課題として処理されるが、そのような分断的な思考では先住民族の生命観を組み入れることが困難であろう。
【註1】もちろん、経済成長著しい「新興国」が途上国サイドとしての条約上の地位を徹底的に利用したという側面もあるので、ことはそう単純には語れない。ここでは、3大新興国(中国・インド・ブラジル)が先住民族の権利保障という面でいずれも大きな問題をはらんだ国々だ、ということを指摘するに留める。
【註2】知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights)。1994年にGATTウルグアイラウンドの産物として成立。他のWTO諸協定と同じく法的拘束力を持つ。
【註3】出典は次号に掲載。
(以上、『先住民族の10年News』161号に掲載済み)
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(以下、『先住民族の10年News』162号に掲載予定)
生物多様性と先住民族(8)生命特許vs先住権(その2)
バスティーダ = ムニョスは同じ論文【註3】のなかで、興味深い提起をおこなっている。すなわち、生物多様性保全の文脈で先住民族の伝統知識の集団的権利を保障するためには、通常の知的財産権(IPR、以下「知財権」と略記)とは別の「先住民族知財権」(IIPPR)【註4】の概念を確立する必要があるという指摘である。通常の知財権との違いとして、彼は「集団的に保有される権利」であるという点と、国際法で認められる先住民族の権利の一環として位置づけられるという点を強調している。
この提起がなされてから、すでに7年ほど経つのだが、このような「先住民族知財権」の考え方がその後どのような展開をみたのか、残念ながら筆者は不勉強で把握できていない。すくなくとも、生物多様性条約(CBD)の議論のなかで具体的に展開してはいないようだ【註5】。(ご存じの方、ぜひ教えてほしい。)
通常の一般的権利とは別種の権利を先住民族を対象として設定するという問題解決法は、すでに先住民族の土地所有と使用について、いくつかの国では実施されている。すなわち、一般的な土地所有権(個人・法人による土地所有)と先住民族土地権(先住民族集団による慣習的領有)とを別個の法的概念・制度として両立させ、両者の調整をはかることで個別の問題に対処していくという方式である。
もちろん、そういった新たなパラダイムを導入しただけで紛争が魔法のように解決するわけではないのだが【註6】、しかし、全般的にみれば、先住民族固有の権利の制度化が、社会的公正と環境保全にとって大きくプラスに働いたことは確かだと言ってよいだろう。
それでは、「先住民族知財権」のような新しいパラダイムの導入がはたして同じようにプラスに作用するだろうか。そして、そのような権利保障によって生じるマイナスの側面があるとすれば、どのようなことだろうか。
■先住権としての知的財産
知財権は、その歴史的出自はさておき、現代世界ではWTOのTRIPs協定(前号参照)に典型的に見られるように、自由貿易を円滑に進めるための秩序機制のひとつとなっている。そのような位置づけゆえに、知財権には
(1)利益分配の基礎となること、
(2)私的権利であること、
(3)世界共通のルールを志向すること、
(4)一定期間後は消滅すること、
といった特徴がある。
これらの特徴は、一般の土地所有権が(1)譲渡・売買が可能であること、(2)一個人や一法人の私的権利たりうること、(3)事実上ヨーロッパの土地所有制度の原則にのっとること、といった性格を備えていることにおおむね対応していると見てよいだろう。(4)については後述する。
土地所有の場合、私有以外に共有・公有という形態もあるので(2)の部分は正確には対応しないが、私的所有と売買を明確かつ円滑にするという機能は共通している。これに対し、先住権や先住民族土地権(つまり一般的な土地所有権とは別個に保障される先住民族の権利)は、個人的権利ではなく(集団総有)、それゆえ原則として譲渡不可のものとして規定される(伝統的権利は売り渡せない)。
もし一般的知財権とは別に「先住民族知財権」を設定するとすれば、先住民族土地権の場合と同様、<集団総有・譲渡不可>という条件が重要なポイントとなるだろう。(土地の場合と同様、有償リースは認める余地がある。)
これと関連して、一般的な知財権の(4)の特徴、つまり有効期限つきの権利(一定期間たつと特許やコピーライトが消滅する)という点は、いわば長期借地権のような設定であり、先住民族の権利保障と根本的な齟齬をきたす。したがって「先住民族知財権」は期限付きのものであってはならないだろう。
また、知財のなかでも特許権は取得・保持するためのコストがかなり高いが、これは一般的土地所有権が課税を伴う(かつ地価が高ければ税金も多くかかる)のと対応している。知財も土地所有も潜在的に利益を生むものであるとみなされるがゆえに、課税の対象とされる。一方、先住民族土地権は領有権の保障が本来の目的であるから課税はされない(土地を貸して収益があがった場合は別である)。とすれば「先住民族知財権」も保有コストのかかるものであってはならないだろう。
このように吟味してみると、「先住民族知財権」は、一般的な知財権の一種ないし変種としてではなく、先住権の一側面として考えることが本質的に重要であることがわかる。【註7】
■土地権と知財権の違い
しかし、以上のような観念的議論で生命特許をはじめとする一連の知財攻勢から伝統知識や資源利用権を守ることは、現状では覚束ない。
第一に、やはり土地と知財は性質が異なる。知財はむしろ生物と似ており、複写と増殖が可能である。土地を盗むためには実際にその土地を侵略しなければならず、それゆえ現場での抵抗も可能なのだが、知識や情報は、持ち出した種子や苗木と同様、勝手に増殖させたり改変したりすることができる。また、土地を盗まれた場合と違って「オリジナルが手元にのこる」以上、金銭的な補償制度さえ整えば問題解決だという見方を招きやすい。(この点をめぐって先住民族のなかでも意見は分かれるだろう。そこを衝かれる恐れは大きい。)
現に、生物多様性条約でもその第二議定書として名古屋COP10での成立が期待されているABS議定書(生物資源・遺伝資源へのアクセスと利益分配に関する拘束力のある取り決め)においては、アクセス(生物資源や遺伝情報や伝統知識を取得・利用すること)自体はよしとして、その秩序や利益分配の基準を設定すること、そうした前提のなかで先住民族や地域共同体への分配を確保する、という交渉文脈がたいへんに色濃い。伝統知識や在来生物資源の利用がはたしてそれで十全に守れるのか、見直してみる必要がありはしないか。
【註3】(前号註3に同じ) Mindähi C. Bastida Muñoz (2003), American sustainability issues: biodiversity, Indigenous Knowledge and intellectual property rights. Second North American Symposium on Assessing the Environmental Effects of Trade (Montreal), North American Commission for Environmental Cooperation (CEC).
【註4】intellectual indigenous peoples property rights 直訳すると「知的先住民族財産権」だが、「財産をめぐる先住民族の諸権利のうち知的財産に関する部分」ということなので、便宜上「先住民族知財権」と訳すことにする。
【註5】 ABS議定書案をめぐる議論のなかで取りざたされている「特別制度」(sui generis systems)がそれにあたるという説明をきいたことはあるのだが、これは通常の知財権や自由貿易を前提とした話なので、ちょっと別次元のことではないかと思われる。
【註6】オーストラリアでは一般的な「土地所有権」と「先住民族土地権」と「先住権原」という3通りの枠組みを用意し、それなりに法制度と認定手順を整えて対処しているが、それでも紛争は発生し続けている。先住民族集団内部での利害対立や主導権争いがかえって激しくなったり、交渉権が確立したがゆえに“交渉圧力”がむしろ強まった(交渉の土俵にのって“標準的”な協定案にサインするお膳立てが揃ってしまい、拒否権が行使しにくくなった)、といった側面も否めない。「先住民族とコモンズ」第7回学習会(2006)の記録を参照: http://bit.ly/aXoN6j
【註7】 註4に示したように、intellectual indigenous …という語順であって indigenous intellectual …ではないことが、この違いを端的に反映している。
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連載第6回以前は↓こちらで公開してます。
http://idisk.me.com/hosokawakm-Public