2012年6月3日、京都・堺町画廊にて、吉野裕之さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)のお話を聴く機会がありました。その際のメモです。【文責・細川弘明】
【2012.6.19 追記: 誤字修正、リンク追加】
【2012.6.20 追記: 西山さんのお名前の漢字が間違っておりましたので訂正しました。大変失礼いたしましたm(_ _)m ; 会の主催者の記載が不正確でした。訂正いたしました。不注意をお詫びいたします。】
「福島を生きる ── 福島の現状紹介」
15:00-
- 私の家族の避難先に京都を選んだのは、京都府の対応がいちばん優しく手厚かったから。福島の行政が自主避難者への対応がまったく無かった時期だったので、嬉しかった。
- 昨日、龍谷大(NPO政策論)で話をした。
- 渡利の「花見山」、山主さんの判断で今年もあけなかった。しかし、ふもとのお土産村はあいたので人は集まってしまった。
- 汚染の概況(写真、グラフ、地図などで説明)
- 南会津はほとんど汚染されなかったが、修学旅行生の激減など経済的打撃うけた。現状の汚染もさることながら、福一がどうなるか分からないという状況がネック。
- 昨年5月上旬、保護者の集い。口コミだったが250名くらい集まった。会場暑くて大変だったが「窓開けられないようね〜」ということで我慢した。
- そのとき、フランスの放射線測定の専門機関 CRIIRAD のサポートで食品測定もしたが、シイタケで8000Bq/kg出て、持ってきた菜園主(福島市北部)は青ざめていた。
- 避難相談会、各地のグループ
- 県との交渉、山下俊一医師の件。山下医師の「安全」論をきいて、信じたい人と不信に思う人とで二分されてしまったのが、福島の不幸の始まり。
- 6万人集会(武藤類子さんがスピーチをしたとき)、沿道の人たちが迷いつつも参加してくるのを沢山みて、感慨深かった。
- 浜通りからの避難者の仮設住宅(南矢野目通下)は、福島市のなかでも線量の高いところ(>8μSv/h、cf. 大波で9μSv/hだった頃)
- 放射線業務従事者(2008年に7万数千人)の平均被曝量は年々下がってきて、2008年には1mSv/paにまで落ちていた。
- 地上1mと地上直置きとで線量が5倍違う。(eg. 0.7μSv/h : 4.0μSv/h) ── そこに女の子が体育座りをしていいのか。生殖腺被曝。
- ガラスバッジをつけて通学する光景、ほとんどSF的。
- 甲状腺検査(2012年3月末)、35%に5mm以下の結節/20mm以下の嚢胞、0.5%に5mm以上の結節/20mm以上の嚢胞。結節は要注意・要経過観察(菅谷医師コメント)。しかし、次の検査は2年後とされる。子どもの数が多く(30数万人)、検査技師も足りない。県外の検査(セカンドオピニオン)まで規制しようとする県の姿勢。
- 定時降下物(セシウム)の測定数字、日によってかなり変動、累積を見て行くと相当。昨年11月で200を切ったが、12月に500前後になり、今年1月2月は1000Bq/m2水準だった。大気圏核実験で一番高かった1963年6月で550Bq/m^2。しかし「もう空気中にセシウムは無い、マスクしなくて大丈夫」と言われてしまう。
- 「特定避難勧奨地点」の基準が自治体によって違う。伊達市、南相馬市では「子ども・妊婦基準」を設定している(各2.7μSv/hと2.0μSv/h)が、福島市では「2μSv/h以上で除染」(避難はさせない)という姿勢。当初は住民で除染」と言っていたが、現在は「業者にやらせるので、住民は作業しないように」という説明に変わった。
- 除染作業のとき、通学路を変えない(作業地点でガードマンがいるので「安全に誘導する」という言い訳) ── 実際に渡利地区での作業をみると、通行人があっても作業を止めていない。
- ハローワークで、除染ボランティア学習会(手当15万円月額、3ヶ月で資格とれる)に誘導、手当めあてで行くので講習ちゃんときいてない。しかし、資格はとれるので除染に駆り出されている。
- 唯一、作業の進んでいた大波地区でも作業が止まった。仮置き場が一杯になったから。渡利地区では、仮置き場すらまだ立地できていない。
- 流水除染、側溝にゼオライト詰めた袋を仕込んでおいてセシウム吸着させる。しかし、汚染したゼオライトの袋を置く場所がない。夜陰に乗じて、河川敷に持ち込み、ブルーシートをしいて積んである。
- 飯舘村からの避難民が、仮設からあぶれ、アパートも見つかるのは渡利のみ、ということでむざむざ線量の高い地区に住んでいる。
- 避難民の多くは「待てるのは2年」(そのあいだに除染が進めば帰還を考える、という意味)。現在、避難できずに残っている人は、とじこもって我慢するしかない状況。 ── 避難・疎開をすすめると、その人たちを追い詰めてしまう恐れ。保養の受入を拡充することが効果的。
- 保養プログラムの例、写真紹介。プログラムがあると、なにかと技のある人が協力してくれる(蕎麦打ち得意、etc)。ほとんどの子どもが質問するのは「ここ、土さわっていいの?」
- 子どもだけですごす時間も貴重、いまそういう機会がほとんどない。避難世帯の子は、遠くの学校にスクールバスで通うが、放課後ともだちと過ごすことができない。
- 飯舘村を想い出すような似た環境で保養プログラムをしたとき、かえって村を思いだしてしまう(帰れないだろうことは子ども達もわかっている)ので、よくなかったかとも思う。保養プログラムで走り回る子ども達を見て、5年後にこのように走り回れるだろうか、と大人たちは思ってしまう。
- 保養の効果(体内のセシウムを排泄するのに要する時間)を考えると、1ヶ月前後のプログラムが重要。しかし、現状では、受入れ数に限度あり。京都のゴーワクなども、毎回やって、参加者が固定してくると(それは意味のあることだが)新しい人が行けなくなる。
- 学校のプログラムのなかに組み入れて、公的なプログラムとして進めることが必要。「ローテーション保養」、既存のクラス単位で。
- 札幌では「学習保養」(受験勉強の集中合宿)という試みもあり。
- 国会で法案審議中、与党案と野党案。自主避難の選択を保障する内容。就労支援・就学支援・生活支援を国がする。避難せずに残る人にも支援体制をくむ。「警戒区域外であっても一定レベル以上の被曝をする地域」という曖昧な書き方(理念法)にしてある。医療補助対象が「子ども・妊婦」とされている点が法案の問題。成人すると補助が切れてしまう(チェルノブイリでも同じ問題あり)。
- 法案が通れば、福島県だけでなく、全国が対象となる。【2012.6.19追記: 法案は、与野党案が一本化され、衆議院・東日本大震災復興特別委員会で審議のうえ、採択されました。】
- 京都の支援はとても充実しているし、行政の取り組みも熱心。なので、持続してほしい。
- 避難できる人はすでに出ている。出来ない人が残っている。
- 質問:「(避難後の経済支援として)生活保護を使わないのはどうして?」 ── 考えたこともなかった(吉野さん、西山さん) 【註: 家のローンなどを抱えた避難者への弁護士からの助言として、ひとつの選択肢としてではあるが、自己破産して債務を消して、避難先の自治体で生活保護を申請し、生活をととのえてから、ゆっくり仕事を探すという方法もある、とのこと。生活保護申請には、弁護士が同行サポートする。】
16:50 休憩
17:05 再開
西山祐子さん(「避難者と支援者を結ぶ京都ネットワーク みんなの手」代表) ── 「こどもたちの夢の夏プロジェクト2012」の説明
- 原発事故は、線量だけでなく、福島の人をばらばらにしてしまった。避難できても、家族と別れたり友達と別れたり。「再会」の場をつくることで、つながりなおすことと、そこから避難に結びつける糸口にしたい。
- 同級生再会プロジェクト(7/28-8/2)於:京田辺 ── ママ達の語り場も設定、子ども達の意見交換も
- 家族再会プロジェクト(8/10-16)往復バス ── 昨年末に「一歩の会」のプロジェクトで昨年暮れに実施した(イベント無し)、今夏は美山でのイベント、一方、お盆に福島に帰省する人たちにも対応。
- みんながスカイツリーの話題で盛り上がるなか、放射能のことを訴えていく「戦闘モード」を維持するのは精神的にもつらい。でも、ライフワークだと思うようになった。福島の問題ではないし、日本のみんな、世界のみんなの問題だということを伝えつづけたい。
- 二本松から避難してこられた石山さん(女性)、京丹波で畑かりて自然農の野菜作り。
- 吉野さん: 避難して来た高校生、いわき市に残る友達に手紙書いたが出せずにおいてあった。その友人も実は、手紙を書いて出せないままだった。お母さんどうしが連絡とって判明。
17:50 終了
今日の集まりは「みんなの手」主催の「みんなのカフェ」として開かれました。(協力:こどもたちの夢の夏実行委員会)
── 美味しい手作りお菓子と心あたたかな空間を用意してくださいました。どうも有難うございます。